■今週のみおしえ■

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2017年7月3日

涙にも質がある
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私達は様々な場面で涙します。
 痛い思いした時、映画で悲しいシーンを見た時、或いは「何で私だけがこんな目に…」と失意のどん底に沈んだ時も涙します。
 その一方で辛い勉強の末、志望校に合格できた時。苦労した仕事の成果があった時。辛い練習にも耐え試合で優勝した時など喜びの涙もあります。このように私達は至る所で涙しますが、その中でも特に質の良い涙として、ある布教区(地域のお寺の集まり)が作った日めくりカレンダーの標語にこうありました。
「誰かのために 涙を流し、誰かのために 涙こらえる。人の喜び苦しみを自分の事のように思って流す涙、人のために踏ん張って堪(こら)える涙は上質」と。 
 自らが辛く苦しく悲しい時は誰でも涙しますが、人のことを思って流す涙は、相手の気持ちを思いやる・推し量る心がないと出てきません。
 つまり人に優しくないと出てきません。しかも上辺だけの体裁繕う優しさではなく、心底から優しくないと人の喜び苦しみを汲み取ることはできませんし、ましてや人の幸せを願って自らが我慢を強いる。即ち自己犠牲を払って、そこから出てくる涙は涙の中でも「上質」というのです。
 
 その上質の涙のお手本ともいえるのが我が本門佛立宗の師、日蓮聖人の涙です。そのことを日蓮聖人はこう仰せです。
 「鳥と虫は鳴けども涙おちず。日蓮は泣かねども、涙ひまなし」 鳥や虫は鳴くには鳴くが、それは深い悲しみや大きな喜びで鳴くのではない。だが私日蓮は鳥や虫のように声をあげて泣きはせずとも涙がこぼれて仕方ないと仰せです。
 
 では日蓮聖人は何に対して涙を落とされてるのというと、日蓮聖人の後を継いだ弟子信者たちが、法華経を弘めることが人々の幸せのためと信じて、一所懸命人々にみ教えを説いて励んでるのに、それを良く思わない者達から命を狙われる程の苦難に見舞われてる…。
 その弟子信者たちの、法華経にかける強い信念と情熱。また必死の覚悟で涙堪えて耐え続けているその姿を思うと、涙せずにいられない=「涙ひまなし」と仰せなのです。
 
 つまり日蓮聖人の「涙ひまなし」とは、単なる悲しみや同情ではなく、誰かのためにと頑張ってる者に対しての心からの礼讃から来てるのです。
 そしてその姿は全て御法様(ごほうさま、仏様のこと)がご覧頂いてる所。きっと困難に堪え忍びながらも頑張ってるつつ御奉公されてる姿に、あらゆるお守り御利益を蒙って下されるであろうと仰せです。
 
 現代を生きる私達にとっては、日蓮聖人のいらした鎌倉時代と比べれば、誰かのためにと頑張って、それで命に及ぶことはありません。
 ただ時には悪口言われたり、悪者扱いされたり、素直にわかってくれなかったりと、「自分なりに懸命に頑張ってるのにどうして?」と、泣きたくなる時もあります。

 でもその涙は我欲、煩悩から出るのでない、「誰かのため」という上質の涙ですから、日蓮聖人もそうされたように「涙ひまなし」、大いに泣けばよいのです。
 
 今から20年以上前のこんな歌詞の歌が流行りました。「涙の数だけ強くなれるよ」と。

 私達は誰かのにと思い、涙を流すほど頑張っているのであれば、それだけ心も強くなり精神も鍛え上げられ、さらに優しい人になっていけます。
 信仰におすがりする気持ちも強くなるでしょう。
 「どうぞお守り下さい・皆が皆良くなりますように」と一層、御題目を唱えることにも身が入るかもしれません。そうなれば、日蓮聖人仰せのように御法様からお守り頂けることでしょう。

 どうぞ私達、「上質」とも言えるような、そんな誰かのために涙する程に懸命に勤めることが、彼我共にいつか運命が良くなると知って、本当に慈悲・優しさを育てましょう。

御教歌「くるしみを 人ののがれし よろこびを
         きくばかりなる たのしみはなし」





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